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リア充オタクに憧れて

リア充オタクを目指すアラサー男子の徒然日記

くまみこ最終回、「どうしてこうなったのか?」

アニメ感想

【アカン】『くまみこ』原作者がブログ更新 「私は脚本チェックするのは断ったのでこんな事をいう資格はないが 、原作ファンとして感想を言わせて貰えれば よしおのあの発言は、酷いな と思っています」 | やらおん!



遂に原作者のコメントまで飛び出し、まだ治ることがないくまみこ最終回批判。

どうしてこうなってしまったのか?


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ある程度仕方がない、とも思える事実




まず脚本家を庇うわけではないが、すこし弁明しようと思う。


まず、最終回付近でオリジナル展開を入れてきたのは仕方がないこと。アニメでは原作の4巻最初まで消化したが、この後は警察が喋るクマ(ナツ)を追う長い話になり、原作ても不評なエピソードとなる。ナツもマチもあまり出番がない。

そのため、アニメを終わらせるためには第3巻までが丁度良い、ということになったのだろう。だからこそ、露骨な尺稼ぎと、最終回に向けたオリジナル話の挿入は免れなかったのだろう。


あと、最終回の最後の方はオリジナルではない。マチの精神崩壊(?)シーンも原作通りです。

アイドルやらされたりと色々ストレスがたまっていったマチは、夢の中で仙台の人に石を投げられ、都会に行かないと言い出す。ナツも全力で喜び、マチが都会に行きたがらないよう全力でサポートする。マチの幼児退行(実際はただじゃれてるだけだが)やナツの「何も考えなくていい」という言葉も原作通りだ。



それでもひどすぎた脚本

TVアニメ「 くまみこ 」エンディングテーマ「 KUMAMIKO DANCING 」



ただ、それを除いても、原作ファンからしたらこの最終回は許せない

それどころか、非常に強い憤りを感じる。


まず、オリジナル展開でマチの残念さを中心に話を展開してはダメ。原作でもマチの被害妄想は常に描かれているが、基本ギャグシーンの一部としてしか出てこない。ヨシオのしでどんだけ大変な目に合わされて涙目になり、空回ったとしても、ひたむきに頑張るマチが魅力的なのだ。ビレバンの回は半ばナツの責任もあり、その後のナツのシーンがあってこそのマチの暴走だったため、ある程度仕方なかった。

それに対し、11話のアイドルコンテスト話は、あんだけ練習したのに会場到着後にすぐ被害妄想に合い、すぐ逃げたした。このマチの評判を著しく落とす行動は、とにかく不快に感じる結果となっただろう

それでも、最後の拍手喝采のステージ演技に繋げるためというのであれば、ある程度過剰な演出をしたのだと納得できる。


ただ、最も許せないのは、ステージが成功にしたにも関わらず、マチが精神に傷を負い、最後のシーンに繋がったところだ。トドのつまり、原作イメージ無視の勝手なオリジナル話を展開しつつ、最後の最後で原作を頼ってしまったのだ

だからこそ、最後は原作通りであるにも関わらず、意味合いが大きく変わってしまった。原作でらマチの一瞬の気の迷いとしてのシーンで、その後再び「都会に行きたい」と言い出すのに対し、アニメでは実際に仙台に行って酷い目に合い、二度と都会に行かないことを決意してナツと一生一緒に暮らすマチの姿として捉えられることとなった。ここが大きな問題点なのだ。

オリジナル話を入れるのであれば、マチの成長した姿を見せるなど、原作を改変してでもスッキリするラストとすべきだったのに、変に原作を消化しようとしてしまったせいで、非難殺到の最終回となってしまったのだろう。

くまみこ」の最終評価


第1話が良かっただけに傷つく人も多かったと思うが、最終回付近のオリジナル展開で失速するかもしれないことはある程度予測していた。ただ、その予測の斜め行く悪さだった。

やはりアニメの脚本家は、原作者と二人三脚でアニメを創り出していくべき。脚本家の独断場だったからこそ、今回のような悲劇が起きてしまったのだろう。非常に考えさせられるケースとなったにちがいない。